製造業ニュース

進化しているGPU・TPU

2017年 8月 8日

CPUはあらゆる種類の計算をこなすことのできる中央処理装置です。
セントラルプロセッシングユニットの略です。
近年ではパーソナルコンピューターの核となっています。
しかし人工知能・AIやデーセンター・サーバーなどの大量のデータを高速で処理する場面では、電力消費がかかることや性能が下がるというデメリットがあると言われるようになってきました。
そこで台頭してきているのがGPU・TPUです。

エヌビディアの「GPU」
自動車自動運転の人工知能・AIをエヌビディアはTOYOTAと一緒に開発すると発表しました。
エヌビディアは人工知能・AI半導体として機械学習の計算を高速化することに特化したGPU(グラフィックプロセッシングユニットの略です)を発表しています。
この発表したエヌビディアのGPUはデータセンターの処理能力を15倍向上させるといいます。
GPUは機械学習、ディープラーニングする特に人工知能・AIを活用するために向いている・必要になると言われるようになってきました。主に機械学習の段階での使用に必要とされています。
GPUはCPUと同様に電力消費がかかるというデメリットもあるとされています。

Googleの開発した「TPU」
Googleは2016年と2017年のGoogleI/OでTPUというAI(人工知能)用プロセッサーを開発し、発表しています。
TPUとはテンサープロセッシングユニットの略です。
一代目TPUは2016年、二代目TPUは2017年のGoogleI/Oで発表されました。
Googleの一代目TPUはCPU・GPUに比べて15~30倍の計算性能、30~80倍の省電力性能を実現していると発表されています。データーセンター・サーバーはコンピューターの集合体であり、その中でこのTPUは高性能かつ省電力で働くといいます。

筆者は短文・長文、文章の質問はディープラーニングするAI、機械学習するTPUに答えてもらうのが良いのではないかとふと考えます。明確な複数の文章の回答を得たい場合に役立つAI等が考えられます。
いずれ文章で質問して文章で答えがかえってきたり、その答えになった背景の関連記事がずらっと並べたりできる検索の機能ができてくるのではないかと考えています。

2017年は日本のメーカーのモバイルPCがすごい

2017年 8月 4日

先日筆者は家電店のエディオン一宮本店に行きました。
エディオン一宮本店は品揃えが充実しています。
筆者と筆者の家族は尾張地域に住んでいる時期にずっとPCの買い物はエディオン一宮本店でした。

一宮本店は店舗の中でもモバイルノートPCのコーナーが筆者の住む地域周辺のエディオン他店よりも充実していました。
まず、PanasonicのLet’s NoteSZ・XZがありました。店舗で販売中で在庫もあります。
世界最軽量を争う富士通のUHシリーズのモバイルノートとNECのHibrid Zeroの最上位機種のモバイルノートPCもありました。
どの機種もディスプレイが思っていた以上に高画質で、サイズも思っていた以上にコンパクトです。
キーボードもどれを見てもコンパクトではありますが、打ちやすいようになっていると感じました。
実際に見に来て、触れてみてよかったです。
ちょっともったいないくらいのモバイルノートPC群です。
15.6インチの上位機種のノートPCと変わらないCPUが搭載されているのですから。
モバイルノートPCのコーナーはIntelの上位機種のCPU、Corei5やCorei7を搭載している製品が置かれていてたいへん贅沢な展示でした。

筆者の住む地域周辺の店舗では展示で富士通の世界最軽量を争うUHのモバイルノートPCは見れましたが、
PanasonicのLet’s NoteやNECのHibrid Zeroの最上位機種は見ることができませんでした。
それだけエディオン一宮本店の品揃えはすごかったです。
あと、AppleのデスクトップやノートPC製品も展示・販売しています。

筆者は富士通のUHシリーズのWindows8ノートPCをエディオン一宮本店で2013年に購入しました。
今は8.1にしてモバイルノートのようにして現在も使っています。
メモリが4GBの仕様なので無理にWindows10にアップグレードすると動かないアプリが出てしまうので
アップグレードは推奨致しかねますとエディオンの店員さんにアドバイスされました。
そのアドバイス通りWindows8.1として寿命を全うさせてやりたいと考えて使っています。
2013年当時からこの富士通のUHシリーズのノートPCは軽量・モバイルノートPCとしてのポテンシャルを感じていました。案の定、この富士通のUHノートの後継機は最近ではNECとモバイルノートPCの世界最軽量を競っています。
2017年は日本のメーカーのモバイルノートPCがすごいです。

SONYのハイレゾ対応ステレオイヤーレシーバー

2017年 7月 28日

先日筆者は行きつけの家電店でイヤホンを買いました。
正確にはSONYのハイレゾ対応ステレオイヤーレシーバーです。
「h.ear in」という商品名です。
型番はMDR-EX750で、マレーシア産の製品です。

家電店でのイヤホン商品
ハイレゾ対応のイヤホンは特別展示してはありましたが機種も商品数も売れているからなのか扱いが少なかったです。
一方、高音質イヤホンは品揃えが充実していました。
ハイレゾ対応でない高音質イヤホンのほうが手頃な価格で手に入ります。

ハイレゾについて
ハイレゾはハイレゾ対応のハイレゾ再生対応のアプリをインストール・または搭載した機種(PC・スマホやオーディオ・イヤホン)を揃えて、さらにハイレゾ音源を配信しているところから有料で音楽データをダウンロードしてはじめて聴けるようになります。

一般的にはWindowsのPCを使っていると購入した音楽CDからPCに取り込んだ音楽データはWindowsMediaAudio形式という略して.wmaという拡張子で保存されています。
それをスマホでもスマホのSDXCカード内のMusicフォルダに移して聴くのですが、.mp3という拡張子に書き換えられるか、もしくは.wmaの拡張子のままで記録されて聴くというのがWindowsユーザーの通常かと考えられます。
これらの.wma、.mp3はハイレゾ音源ではありません。
ですのでCDを購入して音楽データをPC、スマホなどに記録して聴く場合はハイレゾの音楽を聴くことはできていないのです。
ですので.wma、.mp3で音楽を聴くのならば高音質イヤホンで事足りるではないかということにもなるのです。

ですが筆者の場合は音楽好きでSONYのハイレゾ対応の機種のスマホを持ちながらもったいないなという気持ちが働いて、SONYのハイレゾ対応のステレオイヤーレシーバーを購入してしまいました。
なので条件は揃ってしまったのであとはハイレゾ音源を配信サイトから有料でハイレゾ音源をダウンロードしてみるだけです。
筆者もいまだに.wma、.mp3の拡張子の音楽データで聴いているのですが、それでも買ったこのステレオイヤーレシーバーで聴いていると高音質でベースやドラムの重低音やボーカルの日本語がしっかり、はっきり聴くことができて高音質です。筆者は現状でも満足です。

SONYは音楽やゲームなど面白いコンテンツを持っていると考えます。
それがこれからもうまくいくように祈るかぎりです。
ハイレゾで聴ける音源の拡張子は.wav、.flac、.dff、.dsf、などです。
アップルのユーザーの方は.aif、.mpa、.movなどが挙げられます。

東芝のフラッシュメモリ

2017年 7月 25日

(画像、ベースとなるNAND型フラッシュメモリ構造)

フラッシュメモリは舛岡富士雄氏によるNOR型とNAND型のフラッシュメモリを発明したのが始まりです。
その後技術革新が進んでフラッシュメモリの微細化が進みます。
微細化が進んだ後に近年ではフラッシュメモリは三次元積層構造へと技術の進化が進んでいます。
そして「多値化」も進んでいます。

三次元フラッシュメモリ
2007年に東芝メモリは三次元積層構造のフラッシュメモリの世界初の公表をしています。
それからフラッシュメモリの開発は世界的にどんどん進んできています。
現在ではサムスン電子がフラッシュメモリシェア世界首位になっています。
しかし現在でも日本国内では東芝メモリが四日市の工場施設で新たな三次元フラッシュメモリの試作・開発を進め続けています。
それは「BiCS FLASH」というメモリです。

「この「BiCS FLASH」はシリコン平面から垂直方向にフラッシュメモリ素子を積み上げた構造をしています。シリコン平面上にフラッシュメモリを並べたNAND構造とは違う構造です。」
(「」、TOSHIBA、半導体&ストレージ製品 ホーム→製品→メモリ→BiCS FLASH、BiCS FLASHの特長より引用)

2017年8月7日~10日にアメリカのサンタクララで「Flash Memory Summit2017」が開催されます。
東芝メモリはこのイベントでの参考展示に向けて「BiCS FLASH」の新たな構造の三次元積層構造のフラッシュメモリの試作・開発を続けています。

「フラッシュメモリは1つのセルの浮遊ゲートに電子を蓄積する電荷量によって区別されます。
1つのセルの浮遊ゲートに1bitの情報を記録する方式をSingle Level Cell略して「SLC」、電荷量の区別により2bitのものをMulti Level Cell「MLC」、3bitのものをTriple Level Cell「TLC」などといいます。」
(「」、NAND型フラッシュメモリ、SLCとMLC Wikipediaより引用)

東芝メモリが新しく試作しているのは世界初の1つのセルの浮遊ゲートに4bit(「QLC」といいます)の情報を記録する技術方式の三次元積層構造フラッシュメモリ「BiCS FLASH」です。
従来の「TLC」に比べてセルあたりの浮遊ゲート記録可能bit数が1つ増えることでより大容量のメモリが製造可能になります。
この「QLC」「BiCS FLASH」がFlash Memory Summit2017に参考展示される模様です。

東芝メモリの試作・開発技術の近況
東芝は試作品段階で「TLC」で96層の256Gbit(32GB相当)のメモリ生産を達成しています。
また、「QLC」では64層積層プロセス768Gbit(96GB相当)を実現しています。
東芝メモリは「QLC」の64層積層プロセス768Gbit(96GB相当)のチップを1パッケージに16段積層する業界最大容量の1.5TB相当の製品を2017年後期にサンプル出荷、2018年に量産化する予定です。
四日市の工場ではさらなる積層プロセスの三次元積層構造フラッシュメモリの製品化も計画しています。
これらはさまざまなかたちで商品化が期待できるSSDです。
ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんの「研究費がたくさんある時もいい研究ができるが、逆に切羽詰まってこれしかないという時にいいものが生まれる」という言葉を信じたい、筆者はそんな気持ちです。

BDレコーダー

2017年 7月 21日

筆者の自宅で使用しているTVは2KのSHARPのAQUOSのテレビで、
BDレコーダーもSHARPのBD-H51というHDD500GBのレコーダーです。
このBDレコーダーは地上デジタルハイビジョンの動画番組を約62時間ほど録画することができます。
1チューナーの1番組予約録画できる仕様です。
2KTVのAQUOSもBD-H51レコーダーも購入してから現在まで使っていて特に問題は感じてはいません。

家電店でBDレコーダーを取材
行きつけの家電店でBDレコーダーの近況を取材してみました。
まず、容量が増えてきています。
現在では1000GBが標準的に売れているそうです。
HDD1000GBということは地上デジタルハイビジョンを約126時間ほど録画できます。
そして、チューナー数が増えました。
1チューナーで1番組予約録画できるので、2チューナーだと2番組、3チューナーだと3番組をというように同時録画できるようになります。
SHARPのBDレコーダーではチューナー数が1~3チューナーの仕様です。HDDは500GB~3000GBまでの仕様で、4K対応のレコーダーまで出ています。
2チューナーで2番組同時録画できて、容量がHDD1000GBのBDレコーダーが標準的にオススメされていてよく売れているそうです。
そして、PanasonicのBDレコーダー「ディーガ」だと全番組録画機能のレコーダーが発売されています。
Panasonicのディーガの全番組録画の機能のBDレコーダーはチューナー数が7~11、HDD容量は2000GBから7000GBの仕様で売られています。
Panasonicのディーガの中の一般的な自分で予約録画するBDレコーダーのシリーズはチューナー数が1~6チューナーまででHDD容量500GB~2000GBの仕様で売られています。
高画質に特化した仕様のBDレコーダーも出ています。
SHARPの高画質TVレコーダーはAQUOS4KレコーダーでTU-UD1000という商品が出ています。内臓HDD1000GBです。
SHARPからもPanasonicからも販売しているシリーズの中にULTRA HD Blu-ray対応の仕様の製品が出ています。

外付けのHDDは?
外付けのHDDは記録できてもBDに書き込むことはできません。
TV用に使う外付けHDDはTVの実機が買い替えたりなどで別のものに接続するとそれまでの以前のTVの実機で録画して見ることができたデータが消失してしまうそうです。
ですので上記のような弊害の無いTV用のBDレコーダーにも強みがあります。
またBDに書き込めることもできるのもBDレコーダーの強みのようです。

記録媒体MDとその後

2017年 7月 18日

2000年前後筆者は当時高校生でした。
高校生になってまずMD・CD・カセットテープ・ラジオ対応のSONYのコンポを購入しました。
そしてSONYのMDウォークマンを購入しMDを頻繁に買って使うようになりました。
CDの音楽データをコンポでMDに音楽データを記録してはMDとMDウォークマンを持ち歩いてはそれで音楽を聴いて使っていました。高校生当時は本当によく使いました。
たくさんのJAZZや洋楽のCDをMDに記録して今でも箱二つに入れてとってあります。
MDは国内では普及しましたが海外では全く普及されることなく衰退していってしまいました。
MD対応のPCの実機も身近なところに存在しませんでした。
コンポで快適にMDとMDウォークマンを使えていたのに残念でした。

筆者の家庭での身近なものの変遷
その後2000年代前半はゲームもできてDVD鑑賞もできるので一石二鳥ということでPlayStation2を購入してテレビに接続して楽しむようになりました。自然に映画などのDVDに触れるようになっていきました。
それから家族から古くなって買い換えて使えなくなったiPodをお下がりで使うようになりました。
そして2000年代後半に大学生になって、PCとウォークマンやiPodで音楽データを同期して聴く方式が主流になっていきました。大学生時使用したVaioのノートPCにSONYのSonic StageとiTuneをインストールして同期してウォークマンやiPodを使ってました。
また、両親の自宅ではSHARPのブルーレイレコーダーとAQUOS液晶テレビを買っていました。
いつのまにか完全に記録媒体はDVDとBDが主流になっていました。

その後は音楽データがスマホでハイレゾで聴ける時代がやってきました。
筆者も2016年に携帯電話をスマホに買い換えてハイレゾ対応で音楽も聴けるようになりました。
PCからUSB・microUSB typeB端子で接続して音楽データをスマホのmicroSDXC内のMusicフォルダに転送してスマホで聴いたり、PCを使いながらPCに入れた音楽を聴いて使ったりもしています。
スマホは電話やメールなどの機能だけではなく、デジカメの機能や、音楽を聴く機能も十分に果たすようになってきています。

MDはグローバルな普及を果たすことがうまくできませんでした。
しかしMDはディスク自体がプラスチックの内に隠れているため、わりと傷付くこともなく現在も自宅に保管されています。

自家製梅の実の食用加工

2017年 7月 14日

筆者の実家の庭には梅の樹があります。
実家の梅の実の収穫は4月の終わりから5月のはじめでした。
今年は梅の実がたくさんとれました。
梅の実は結局今年は実家から6kg、岡崎の畑から2kg計8kg貰ってきました。
1kg分梅の梅醤(うめびしお)と残りは自家製梅干しとを作りました。

自家製梅干しつくり
梅の実を収穫してから自宅の風通しの良い日陰のところに2・3日置いておきます。
2・3日経って梅の良い香りがしてきたら一晩か半日水につけます。
こうして水につけることで食べた時に種がとれやすくなります。
水につけた後の梅の実を大きさ別にだいたいで一つ一つ選別します。
その時に一つ一つの梅の実のヘタを楊枝で取り除きます。
そして水切りをして水切りした後の梅を焼酎で洗います。
我が家では梅の実1kgあたり50cc程度の焼酎で洗います。
洗った後の焼酎は捨てます。
焼酎が乾ききらないうちに10%~20%の重さの塩を梅の実にまぶします。
(このときカビにやられない程度でおいしくなる程良い量の塩をまぶすのが秘訣です)
消毒した容器に入れて軽く重石を載せて塩によって梅から出た水分の水が上がるのを待ちます。

赤紫蘇を1kgに一束くらいの量で塩で揉んで少量の梅酢でさらにそれを赤くなるまで揉みます。
梅酢と塩であと2回くらいさらに揉みます。
そうして梅の実に載せる赤紫蘇の下ごしらえをしておきます。

梅の実のほうは重石で梅の実の水分が上がりきったらこの下ごしらえした後の赤紫蘇を載せて土用(今年は7月の19日です)・梅雨明けまで待ちます。
この日にちを過ぎたら梅を竹ざるに取り出して干します。
梅干しは酸が強いため容器に金属付属のものを用いるのには向かないです。
梅干しの保存には金属のものは厳禁なのです。
梅干しが1日で乾いたらもとつけこんでいた梅酢に戻して1日(若しくは一晩)置き、そしてもう1日干して乾いたら梅干しのできあがりです。
出来上がった梅干しは別に容器に入れます。容器は上記のように金属・金属付属のものは避けましょう。

自家製梅醤(うめびしお)つくり
我が家には梅醤作りに梅の実1kgを使いました。
1kgの梅に5%の塩50gと赤梅酢(梅干し作りに使用したつけこんでいた梅酢を活用しました)を100ccほど加えて水気がなくなるまで混ぜます。消毒した保存ビンに入れて保存します。
梅醤はほうじ茶と水で熟した梅の実(保存ビンに入った上記の梅)を30分くらい煮て作ります。
熟した梅の実ならば多少傷んだ梅の実も使えます。
ほうじ茶で煮込んだ後ほうじ茶を捨ててもう一度煮込んだ梅の実のほうを水で10分ほど煮込みます。
上記のような煮る工程は要は梅の実の毒抜きの意味があるかと考えられます。
梅醤は風邪や夏バテ予防向きの調味料です。お吸い物に使われたりしています。

乾電池の歴史

2017年 7月 11日


1780年、イタリアの生物学者ガルバーニという人が、カエルの足の神経に2種類の金属をふれさせると電流が流れ、足の筋肉がピクピク動くのを発見したました。これが電池の原理の始まりといわれています。
世界最古・つぼ型電池 「バグダッド電池」イラクの首都バグダッド郊外のホイヤットラブヤ遺跡から発掘されたのが、つぼ型電池です。約2000年以上前のもので、電気をおこすためではなく、金銀のメッキのために使われていたものと考えられています。
電圧は1.5~2ボルト、電解液が何でできているのかは、はっきりとわかっていませんが、酢やブドウ酒などが使われたものと想像されます。
銅と亜鉛を電解液となる希硫酸や食塩水などに入れると、銅は原子がほとんど溶けず反対に亜鉛は原子が溶け出して電子が出ます。 そのため銅は+極に亜鉛は-極となり、この2つを導線でつなぐと銅から亜鉛に電気が流れます。これが現在の化学電池の原型、ボルタ電池と呼ばれるものです。
発明したのは、イタリア人のボルタという人です。だから「ボルタ電池」と呼ばれています。1800年のことです。
さらに1868年、フランス人のルクランシェという人が「ルクランシェ電池」を発明しました。これは現在の乾電池の母体となるものでしたが、塩化アンモニウム溶液がこぼれたりして不便なところがありました。 1888年、ドイツ人ガスナーは、液がこぼれない電池を発明しました。水分はあってもこぼれないことから、ガスナーの発明は「乾いた電池」(=乾電池)と呼ばれています。
その3年前の1885年、日本人の屋井先蔵という人も独自に乾電池を作っています。明治43年(1910年)には、合資会社屋井乾電池を設立し、神田区錦町一丁目に販売部を新築するとともに、浅草神吉町に乾電池の製造工場を設け、乾電池の本格量産にとりかかりました。筒型の金属ケースを用い、現在の乾電池のスタイルを確立しています。屋井乾電池は海外品との競争にも勝ち、日本国内乾電池界のシェアを掌握し、屋井は乾電池王とまで謳われるようになりました。

オートバイ

2017年 7月 7日

浜松のオートバイ産業は、昭和初期に遠州織機という会社がオートバイの製作を着手しましたが、製造業の多くが軍需品生産に移行する当時の状況の中、完成間近で頓挫してしまいました。
本格的な浜松のオートバイ産業は、太平洋戦争の浜松大空襲で焼け野原になった浜松の街から出発しました。
昭和21年(1946)、本田宗一郎が、陸軍で使用していた無線用小型エンジンを改良し自転車に取り付け試走したのが、浜松のオートバイ製造の始まりでした。本田は浜松市山下町にあった木造バラックの機械加工工場に本田技術研究所を設立し、原動機付自転車を製造・販売をしました。
昭和22年(1947)本田は既存の小型エンジンの改造ではなく、独自のエンジン開発に着手して「A型エンジン」を完成させました。山下町にあった工場の前には、通称六間道路が東西に通っていました。研究所の所員は、この六間道路を幾度も試走して、A型エンジンを積んだ原動付自転車を完成させました。
昭和23年(1948)には野口町の織物工場を買収し、エンジン組み立て工場に改造しました。原動機付自転車に満足していなかった本田は、BMWなどの外国のオートバイを手当たり次第に分解し、研究開発を進め、昭和24年(1949)にドリーム号という本格的なオートバイを浜松の工場で完成させました。
昭和27年(1952)に、本田はオートバイ販売の全国展開を進めるため、本田技研工業の本社を浜松から東京へ移転しました。この東京移転の最中、白いタンク・赤いエンジンカバーのカブF型が生産され脚光を浴びました。カブF型は、自転車に簡単に取り付けでき、女性でも気軽に運転できる原動機付自転車でした。
本田技研工業では全国の自転車販売店5万5千軒にダイレクトメールを送付し、全国から注文が殺到しました。この、カブF型が爆発的な売れ行きで、当時業界全生産の70%を占めた時期もありました。これに刺激を受け、全国でオートバイメーカーが濫立し、浜松にも30社以上のオートバイメーカーが生まれました。
この時期、設立したメーカーには、本田に無線用小型エンジンを提供した犬飼兼三郎のヤマトラッキー(ヤマト商会)、本田の弟子の伊藤正のライラック(丸正自動車製造)などがあります。多くのメーカーは昭和27年から28年にかけて登場し、一部のメーカーを除いてわずか1~2年で廃業や転業してしまいました。
昭和29年(1954)、浜松市葵町の旧陸軍飛行場跡地に本田技研浜松製作所を設立し、ホンダの二輪生産の拠点となりましたが、平成20年(2008)に熊本製作所に二輪生産を移しました。
中区山下町のホンダ発祥の地は、現在マンションが建っています。しかし歩道沿いにホンダ発祥の地の説明板があります。

ハサミ

2017年 7月 4日


ハサミとはふたつの刃でものをはさんで切る道具のことです。形態としては、かしめが支点になっており支点が刃(作用点)と握りの中間にあるいわゆる洋ハサミと、中間部がバネになっており支点が刃から離れている握りハサミ(和ハサミ)があります。
古代エジプトの壁画にハサミやピンなどが描かれており、また紀元前1000年頃の古代ギリシャのものとされるハサミが出土しており、古代から使われていたと考えられている。元々は医療用や羊毛の収穫に使われており、当初は握りハサミが使われていました。
かしめ部がある形式(日本で洋ハサミと呼ばれている形式)が登場したのは西洋では古代ローマ以降の時代、東洋では唐の時代以降だとされています。
日本では6世紀に中国を通して伝わったと考えられており、この時代の古墳からの出土例もあります。古代、中世には主に握りハサミが用いられ、また金属製のものの他に木製のハサミも作られていました。ただ裁断などの用途には伝統的にハサミではなく刃物が用いられていたので、ハサミの普及は職人や華道家など限定的なものでした。

握りハサミ
かしめ部を持たない原始的な構造のハサミです。握りハサミは、通常1枚の細長い金属板の両端に刃がつけられ、これをU字形に曲げて中間部がバネ状にしてあります。英語ではspring scssorsと呼ばれています。日本では和鋏とも呼ばれていますが、日本で発明されたわけではありません。
ただし、現在も広く生産、使用されているのは世界でも日本のみです。しかし、日本でも現代では洋鋏が主流であり、和鋏が使用されるのは糸切り鋏や飴細工用など限定された用途のみで使用されています。

洋鋏
洋鋏は通常2枚の細長い金属板が支点を中心軸として重なり合う構造となっており、それぞれの金属板の内側に向かって刃がつけられ、2枚の刃が交わった部分が閉じていくことで間に挟んである紙や布などが切断される仕組みです。構造的には第1種てこの構造を持っていて、2枚の刃の部分が作用点、刃をつなげる部分が支点、反対側の持ち手の部分が力点となります。
洋鋏は使用していない時には安全のため閉じられていることがほとんどで、先端の刃の部分を覆うキャップやカバーを付けるものも存在しています。

その他にも右利き用、左利き用などがあります。