製造業ニュース

テレビの歴史

2017年 6月 30日

1987年ドイツの発明家ブラウンによってブラウン管が発明され、1925年にはイギリスのベアードが二ポー円盤による機械方式のテレビ実験に成功しました。その頃日本では電気工学者の高柳健次郎らが当時としては画期的だった電子式装置によるテレビの開発に取り組んでおり、1926年12月25日に世界で初めてブラウン管による「イ」の字の電送・受像に成功しました。
実験装置は、送像側に機械式の二ポー円盤を、受像側に電子式のブラウン管を用いた折衷方式でした。1933年にアメリカのツヴォルキンが電子式撮像管アイコノスコープを発明すると、高柳氏らも独自でアイコノスコープを試作し、1937年には走査線441本、毎秒30枚と言う当時では世界最高水準の全電子式テレビ受像機を完成させました。高柳氏はその後も日本におけるテレビ放送の実用化に大きく貢献し日本のテレビの父として多大な功績を残しました。
欧米各国でテレビ放送の実用化準備が進められるなか、日本でも1939年5月13日にNHKが日本初となるテレビの公開実験を行いました。そして、1940年には日本初のテレビドラマの実験放送も行われたのですが、1941年の戦争のせいでテレビの研究は中断を余儀なくされ、日本におけるテレビの実用化は1946年の研究解禁を待つことになりました。
1953年2月1日NHKがテレビ本放送を開始しました。8月28日には民放のトップを切って日本テレビが本放送を開始しました。しかし、当時はテレビ受像機の価格が高く、なかなか受像機が普及しませんでした。そこで登場したのが街頭テレビでした。デパートや駅や公園などに設置された街頭テレビには多くの人々が集まり、テレビに映し出されるプロ野球やプロボクシングや大相撲などに熱狂しました。
ちなみに国産第1号テレビは1953年1月に発売されシャープ製で、価格は175000円でした。当時の公務員の初任給は高卒で5400円でしたから如何に高級品だったかがわかります。
今では大型化され薄型にもなり更なる進化を遂げているテレビですが当時の人々にとっては夢のまた夢と言った存在だったのでしょう。

ラジオ

2017年 6月 27日

ラジオが世界に初めて登場したのは1900年で、カナダの電機技術者レジナルド・フェッセンデンが、距離約1マイルでの、音声の送受信に成功しました。彼はその後もラジオの改良に取り組み、1906年12月24日にアメリカのペンシルベニア州でクリスマスの挨拶をラジオでしました。
それ以降、世界各地で実験、試験的なラジオ放送が行われましたが、アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグのKDKA局が1920年11月2日に世界初の公共放送を行ったとされています。最初の放送はアメリカ大統領選挙の開票結果でした。
日本にも世界のラジオ放送のニュースは伝わり、ラジオ放送の実験があちこちで行われました。1923年に関東大震災が発生し、情報伝達メディアとしてラジオの必要性が認識されるようになり、ラジオ放送の開局を急がせたと言われています。
1925年3月22日午前9時30分に、日本初のラジオ放送が社団法人東京放送局によって発信されました。当時のラジオの性能はあまり良くなく、発信源である東京23区外では良く聞こえないものでした。その後、大阪、名古屋でもラジオ放送が始まり半年で10万人、1年で20万人を突破し目覚しい普及を見せたのでした。
その後も改良され続け当初よりコンパクトで高性能のモデルも誕生しましたが、1960年ころのテレビの普及によってラジオの視聴者が減りましたが、世界中のラジオ放送を聞くことが出来るインターネットラジオの登場によって、現在、視聴者が再び拡大し始めています。さらに衛星や地上デジタルラジオも加わり、従来のアナログ放送と共にラジオの多様化が進んでいます。
1995年に起きた阪神・淡路大震災や2011年東日本大震災では乾電池で動く携帯ラジオだけが災害状況を知るための唯一の手段だったと言われています。災害時、停電が起きても使用できるラジオが最も重要な情報源であることは間違いないでしょう。

エアコン

2017年 6月 23日


エアコンの始まり
エアコンつけてとかエアコン買い替えたいなと普段何気なくエアコンと言う言葉を使っていますが、そもそもの由来はどこにあるのでしょうか。エアコンがエア・コンディショナーの略語であることはご存知かと思います。
この名前の原点は1906年アメリカの織物工場内の湿度を保つために作られた仕組みエア・コンディショニング(空気調和)から来ているのだそうです。
パソコンが軍事目的、冷蔵庫が医療目的で開発されたのと同じで、エアコンも元々は家庭用ではなかったのです。

エアコンディショナーになった理由
エアコンディショニングのconditioningとは調整、調節と言う意味なのですが、英語では不可算名詞(数えられない名詞)として分類され、ものの名前としては不適切なのです。簡単に言うと、電気屋さんでエア・コンディショニングを1台下さいとは言えないということです。
それがエアコンの増産化、商用化の流れの中で、製品として数えられる名前が必要になったのです。こうした経緯から可算名詞(数えられる名詞)であるconditioner調整する人と言う言葉が使われるようになったとされています。

日本で普及した経緯とは
日本で本格的なエアコンが生産されたのは、戦後すぐのことです。当時はアメリカからの技術が積極的に取り入れられてきましたが、エアコンもそのうちの1つでした。
日本ではルーム・クーラーと言う名称で登場しました。その商品は①ウインドタイプである②大きくて高価③戦後経済の疲弊などの理由から、発売当初は家庭にはそれほど普及しなかったようです。ウインドタイプは室外機と室内機が一体化していて、窓枠にはめ込むように取り付けられるものですが、今でも時々古い木造アパートなどで見かけることもあります。
1960年以降に入ってようやく、セパレートタイプ(室外機と室内機が別々の型)や暖房、除湿機能を持った製品が本格的に登場し、高度経済成長の後押しと共に、爆発的に家庭へと普及していきました。このころから現在でも使われるルーム・エアコンと言う名称になりました。

ティッシュペーパー豆知識

2017年 6月 20日

今ではどの家庭にもたくさんあり、中には部屋ごとにあったりするとても身近なティッシュペーパーですが、どのようなきっかけで誕生したのでしょうか。
なんと実は元々は戦争の道具として開発されたのです。第一次世界大戦中、脱脂綿の代用品として開発されたのです。さらに吸収力を高めたものをガスマスクのフィルターとしても利用したのです。
1924年第一次世界大戦が終了した後、ティッシュペーパーは過剰に在庫が余っており、アメリカのキンバリー・クラーク社がメイク落とし用として「クリネックスティッシュ」を発売したのです。
それ以降アメリカではティッシュペーパー=クリネックスと言う名前が定着したのです。そして化粧落としに、使い捨てハンカチとして、布やタオルにとって代わったのです。
それまでの女性たちは化粧落としに布やタオルを使っていました。洗って何度も使うので、手間が掛かるし、非衛生的になりがちでした。そこに登場したのがティッシュなんです。女性たちには大歓迎されました。
そんなティッシュペーパーが日本に登場したのは1953年です。1963年には国産のスコッティ・トイレットティッシュ75mが山陽スコットから発売されました。クリネックスよりやや安価であったため広く浸透していきました。
翌年の1964年には、日本初の箱入りティッシュペーパーが発売されました。ところでティッシュペーパーの生まれ故郷のアメリカでは、家ではティッシュを使っても外出先での鼻かみはハンカチと言う人が多いようです。
ヨーロッパの各国も大体同じようです。その一方で日本人は圧倒的にポケットティッシュを使う人が多いですね。このポケットティッシュは実は日本生まれなのです。ティッシュペーパー発売の翌年に日本で発明されたのです。
このポケットティッシュが日本中に広まったきっかけとしては、1970年に富士銀行(現みずほ銀行)が口座開設の粗品として20万個配布したことをあげる説があります。
今では様々な業種で広告のためにポケットティッシュを配っている風景を目にします。新聞の折込チラシよりも効果があるとも言われています。しかし日本以外ではあまり見かけることはありません。
私が見たのは中国の北京と台湾の台北市で販促用のポケットティッシュを見かけたことがあります。偶然にも両方とも美容院のチラシでした。日本は世界屈指のティッシュ大国です。何と消費量はアメリカの3倍にもなるそうです。

シャープペンのはじまり

2017年 6月 16日

シャープペンシルは、細い黒鉛の芯を繰り出して用いる機械式筆記具のことです。略称でシャープ、シャーペンなどとも呼ばれるのが一般的になっています。

由来
シャープペンシルと言う名前は、日本の登録商標「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」に由来していますが、アメリカではそれ以前からEversharp Pencil(エバーシャープ・ペンシル)と言う呼び名がありました。これも元は登録商標です。
エバー・レディ・シャープ・ペンシルは電機メーカーのシャープの社名の語源にもなっています。なおアメリカではmechanical penncil、イギリスではpropelling penncilと呼ばれています。また黒鉛の芯を使う筆記具の総称として一括りpencilと言うこともあります。

歴史
確認された最古のシャープペンシルは1791年に沈没したHMSパンドラから見つかっています。実際の発明はこれより前に遡ると考えられています。1822年イギリスのジョン・アイザック・ホーキンスとサンプソン・モーダンが繰り出し式のシャープペンシルを発明し、特許を出願しました。
サンプソン・モーダン社のシャープペンシルは純銀や金によって作られており、軸の後端には宝石や貴石がちりばめら、そこに封蝋に印をつけるための家紋やイニシャルを彫りこむことが出来ました。
日本においては1870年代後半にアメリカ製やドイツ製のシャープペンシルが輸入されるようになり、これを手本としたものが東京の金属細工職人によって手工業で作られ始めました。1900年代初めには機会が導入され1920年代には軸が樹脂で作られるようになりました。その頃には海外への輸出も行われていました。
早くは1886年に2件の特許が出願されており、その後多数の特許が出願されています。当時使われていた機構はドロップ式や、押し出し式や、繰り出し式(スクリュー式)などがありました。

比較的最近の発明かと思えるシャープペンシルですが、なんと100年以上の歴史があることにびっくりしました。これからも日常的に使用するシャープペンシルですが使うたびに歴史の重さを感じながら使うことになるでしょう。

ボールペンのはじまり

2017年 6月 13日


油性ボールペン
油性ボールペンは1943年にハンガリーでラディスチオ・ピロによって開発されました。我々日本人の目にこのボールペンが始めて目に触れたのは1945年終戦の年でした。
日本に来たアメリカ兵によって紹介されたことによります。ピロの開発からわずか2年後にはアメリカ兵のほとんどが所有していたことで、この事実からも普及のスピードの速さに驚かれますね。
この後、国産ボールペンの製造が始まりましたが、インクや材質が悪く欠陥品が続出し、ブームは続きませんでした。現在のような実用性のあるボールペンの誕生は1950年代に入ってからのことで、均一で抵抗の無い書き味と鉛筆のように削ったりなどの手間が要らないなどの特徴が受け入れられ、普及が急速に進んだのです。

水性ボールペン
水性ボールペンは、油性ボールペンに遅れること約25年後の1970年に日本で発売された筆記具です。構造はサインペンの先にボールのチップをつけたもので、国内より海外で広く普及しました。
その評価により逆に日本でも広まったものです。当初チップには樹脂が使われていましたが、金属製のチップが登場するとそれが一般化しました。

ゲルインクボールペン
水性ボールペンのインクにゲル化剤を添加したゲルインクボールペンは、日本で発明され1984年に発売された筆記具です。水性ボールペンのように滑らかに書くことができ、にじまないと言う大きな特徴があります。
また、ゲル化剤を添加することにより、大きな粒子をインクの中に入れることが可能となり、白色粒子を入れたパステルカラーやラメを入れたもの、香料を入れたものなどが次々と発売されました。

油性ボールペンはハンガリーが発祥の地ですが、日本人の器用さ、真似ることの上手さが十分に発揮され水性ボールペンとゲルインクボールペンを発明したのです。今日では一般的に使われているボールペンにはこんな歴史があったのです。
それにしても日本人は独自の商品を発明するよりも改良することに非常に長けている人種ですね。

2in1ノートパソコン・モバイルノートパソコンあれこれ

2017年 6月 9日

最近パナソニックやNECが2in1の軽量ノートパソコンを売り出しています。
パナソニックはレッツノートのXZシリーズ、NECはLavie Hibrid Zeroシリーズで仕様の充実した2in1を発売しています。
レッツノートのXZシリーズはタブレット部だけで500g台の軽さで驚きです。
NECのHibrid Zeroシリーズも今春発売したシリーズの中で世界最軽量の2in1モバイルノートの製品を打ち出しています。タブレット部は398gの軽さのモデルもあります。
どちらも持ち運んで使える軽量で充実した製品であると思います。
CPUもIntelのCoreiシリーズ搭載です。
筆者は2in1だけではなくパナソニックのレッツノートのSZシリーズやNECのLavie Hibrid Zeroの2in1ではない仕様のモバイルノートも充分すぎるほど魅力に感じています。
ストレージも128GBや256GBでLTE対応のSIMフリーモバイルノートの仕様もあります。
Microsoftのサーフェスプロなどのシリーズも持ち運びして使うセカンドノートとして使っている友人もちらほらいます。
いつでもどこでも使えるモバイルノートは魅力です。

GoogleのノートPC、Chromebook
Androidのスマホを使うユーザーは最初の購入時にGoogleのアカウントを作成します。
そのIDとパスワードでGoogleのGoogledriveというクラウドストレージを15GBまで無料で活用できます。
このGoogledriveにGoogleのアプリを保存してPCとスマホ両方で閲覧・編集できます。
Googleの右上のメニュー一覧の中にあります。(Googleドキュメント≠ワード・Googleスプレッドシート≠エクセルなど)
特別なソフトをダウンロードしなくてもブラウザの中で編集できるようになっているのです。
GoogleのChromebookはこのGoogleのアカウントとGoogledriveのクラウドストレージをGoogleのさまざまなアプリで活用するノートPCになっています。
GoogleのChromebookは購入時からおよそ2年間100GBまで無料でクラウドストレージを活用できるようにすることもできるそうです。
アメリカでは結構人気が出ました。しかし、今のところ日本ではあまり人気ではありません。
15GBまででスマホでGoogleを活用するのが一般的のようです。
スマホをパソコン作業に生かす・スマホ自体の機能をフルに活用する分にはGoogleは大きな活躍をしています。
筆者のGoogleの使い方は今のところですが、GoogleのアプリのデータをGoogledriveに保存しておいてwindowsPCで開いてプリントアウトしたり、スマホの使い方をPCと連動させて進化させたりしています。
ただGoogleのChromebookは内部ストレージや無料で使えるクラウドストレージの容量が増えて充実さえしてくれば大いに飛躍できる可能性も感じます。
アプリだけで考えればGoogleのアプリはオフラインでも動作するし、あとでオンラインで繋がればデータ更新してくれるし実力も感じます。

深紫外線LED

2017年 6月 6日

紫外線
紫外線は目で見ることのできない光で、光の波長が10~400nmの電磁波です。
紫外線は光の波長によっていくつかに分類されています。

紫外線の種類
紫外線は近紫外線のUV-A・UV-B・UV-Cと遠紫外線、真空紫外線、極端紫外線に分類されています。

近紫外線の光の波長
UV-Aは光の波長が315~380nmです。
UV-Bは光の波長が280~315nmです。
UV-Cは光の波長が200~280nmです。

自然界の紫外線
太陽光の中にUV-A、UV-B、UV-Cの波長の紫外線が含まれています。
UV-A、UV-Bはオゾン層を通過して地表まで到達しています。
地表に到達する紫外線の99%がUV-Aです。
UV-Cは通常、大気を通過することができない紫外線です。
(紫外線 wikipediaより引用)

殺菌効果のある深紫外線LED
紫外線は殺ウィルスや殺菌の効果があります。
中でもおよそ100~280nm(ナノメートル)の光を発光するUV-Cとよばれる深紫外線の研究が進んできています。
排水処理施設や上水道の殺菌処理法としてこの深紫外線を活用する方法が研究されています。
そして最近、旭化成のアメリカの子会社である「クリスタルアイエス」が殺菌効果を有する深紫外線LED(発光ダイオード)を開発して製造と販売をはじめています。深紫外線LEDは国内で、静岡県の旭化成富士支社で量産するそうです。旭化成の深紫外線LEDの光の波長は265nm、発光出力20ミリワットです。
他には日機装が光の波長285nm、発光出力50ミリワット・情報通信研究機構とトクヤマが光の波長265nm、発光出力90ミリワットの深紫外線LEDを開発中です。
上記の近紫外線の波長を記してあるように、これらの深紫外線LEDの製品は光の波長が近紫外線の「UV-C」の波長にあてはめられられます。
UV-Cには強い殺菌効果があり水の除菌の工程に有用であるとみられています。
この深紫外線LEDの技術がこれから本当に実用化されていくことになるのか注目です。

FUJIFILMの写真作成機器「PrinCiaoプリンチャオ」

2017年 5月 26日

皆さんは最近写真の作成をしていますか?
筆者の場合は写真の印刷をしたのは9年前の2008年です。だいぶ昔の話ですよね。
デジカメやスマホで画像データを頻繁に作り・管理はしているのに不思議なものです。
最後に写真屋さんでSDHCメモリーカードの写真データから選んで作ってもらったのがその2008年です。
それ以来、自分で写真屋さんに作成の依頼には行ったことがありません。
個人的にはフルHDの画素の写真・画像データをSDHCメモリーカードにフォルダを作ってデータを整理し、保存はしています。
身近なところで言うと他には親戚からお盆・正月などの記念撮影をした写真を選んでブックにまとめたものをもらっています。
おそらくは写真屋さんに親戚が写真データを持っていって写真を選んでブックにまとめたものだと思います。
筆者自身は写真屋さんからずいぶん離れていってしまったものだなと考えています。

高島屋内の東急ハンズにFUJIFILMのプリンチャオというセルフ写真作成機器が
先日筆者は名古屋まで電車で通いました。
名古屋駅の高島屋の書店に本を物色しに行きました。
すると書店のある階の店舗フロアが改修されていました。
書店のフロアと東急ハンズの店舗フロアが同じ階に繋がっていました。
書店で本を求めに来たのが本来の目的でしたがついでに東急ハンズの店舗も見ていこうということで
物色しながら歩いていました。
そんな東急ハンズの11階フロアにFUJIFILMのセルフプリントシステムの機器「プリンチャオ」を見つけました。
USBメモリ、SD・microSD、スマホなどどんな記録媒体からも写真データを引き出せるマルチアダプターを搭載しています。
このプリンチャオのマルチアダプターに各種記録媒体を繋げて画像データの中から写真作成したい画像を選ぶことができるのです。
一枚の写真作成につき30円かかります。
筆者のような最近写真屋さんからずいぶん離れてしまった人でも、これなら簡単に少しずつ写真にしておくことができます。
筆者と同様にデジカメやスマホでデジタル写真を画像データとして作成・管理はしているけれど、写真屋さんには行っていないという方にはこのFUJIFILMのセルフプリントシステムの機器「PrinCiaoプリンチャオ」を活用するのがおススメです。
画像データを厳選してこれは良いという一枚を少しずつ便利に写真作成しておくのも楽しいです。
このFUJIFILMのプリンチャオはすばらしい機器だと筆者は偶然に実際に見て感動しました。

野球ボールができるまで

2017年 5月 23日

前回、前々回で野球用品であるバットとグラブの政策過程を説明してきました。
今回はバット、グラブときたらそうボールの制作過程について調べてきました。

野球ボールは大きく3つの層に分かれています。
それはゴム芯、糸巻き部分、表皮からなります。
野球のボールはバットで打たれた際に瞬間3トンもの衝撃が加えられます。
そんな大きな衝撃を受けてもなおボールとして機能するのはシンプルな古典的な工程を職人の作業による匠の技です。
ではそんな匠の技を見ていきましょう。

工程1 糸巻き
直径34mmのゴム芯はコルクのコアを黒ゴムと赤ゴム(練習用は青ゴム)が覆う3層構造です。
これに太い毛糸をまず巻いていきます。
ここでのポイントは少しずらして均等に巻いていくことです。
これが巻き終わると次は中細の毛糸で中巻。
重量計測を行い、それが終わると太い綿糸を巻き、次いで細い綿糸を巻きます。
重量検査、寸法検査を行い規格に合格した物は、糸の緩みを防ぐために全体に接着剤を吹き付けて乾燥させます。

工程2 表皮裁断、縫い合わせ
ボール表皮用の牛革のキズや汚れをチェックします。
その後、川の厚さを均等にする「すき」とよばれる作業に入ります。
これが終わると次は川の裁断で同時に糸通しの穴もあけられます。
ちなみに牛1頭の皮からボール約160個ほどの皮が取れるのです。
重量や寸法チェックが終わり、皮の選別、皮合わせが終わると皮の裏側に接着剤を塗り、
糸巻きしたボールに皮を貼り付けて縫い合わせます。
縫い合わせる針孔の数は108と決まっています。

工程3 検査、仕上げ
縫い合わせが終わると、様々な検査が行われます。
例えば既定の高さからボールを落とし、その反発係数を調べたりします。
糸孔、表面、、内部なども金属探知機で検査を行います。
1頭の牛から約160個のボールが作ることができますが、プロ用のボールとして認定されるのは12球前後というからいかに検査が厳しいかがわかります。
検査が終わるとブランドマークなどを印刷し、湿気や皮の変色を防ぐためにアルミで包装します。
そしてさらにビニール袋に入れて箱詰めされて出荷されます。