乾電池の歴史

2017年 7月 11日


1780年、イタリアの生物学者ガルバーニという人が、カエルの足の神経に2種類の金属をふれさせると電流が流れ、足の筋肉がピクピク動くのを発見したました。これが電池の原理の始まりといわれています。
世界最古・つぼ型電池 「バグダッド電池」イラクの首都バグダッド郊外のホイヤットラブヤ遺跡から発掘されたのが、つぼ型電池です。約2000年以上前のもので、電気をおこすためではなく、金銀のメッキのために使われていたものと考えられています。
電圧は1.5~2ボルト、電解液が何でできているのかは、はっきりとわかっていませんが、酢やブドウ酒などが使われたものと想像されます。
銅と亜鉛を電解液となる希硫酸や食塩水などに入れると、銅は原子がほとんど溶けず反対に亜鉛は原子が溶け出して電子が出ます。 そのため銅は+極に亜鉛は-極となり、この2つを導線でつなぐと銅から亜鉛に電気が流れます。これが現在の化学電池の原型、ボルタ電池と呼ばれるものです。
発明したのは、イタリア人のボルタという人です。だから「ボルタ電池」と呼ばれています。1800年のことです。
さらに1868年、フランス人のルクランシェという人が「ルクランシェ電池」を発明しました。これは現在の乾電池の母体となるものでしたが、塩化アンモニウム溶液がこぼれたりして不便なところがありました。 1888年、ドイツ人ガスナーは、液がこぼれない電池を発明しました。水分はあってもこぼれないことから、ガスナーの発明は「乾いた電池」(=乾電池)と呼ばれています。
その3年前の1885年、日本人の屋井先蔵という人も独自に乾電池を作っています。明治43年(1910年)には、合資会社屋井乾電池を設立し、神田区錦町一丁目に販売部を新築するとともに、浅草神吉町に乾電池の製造工場を設け、乾電池の本格量産にとりかかりました。筒型の金属ケースを用い、現在の乾電池のスタイルを確立しています。屋井乾電池は海外品との競争にも勝ち、日本国内乾電池界のシェアを掌握し、屋井は乾電池王とまで謳われるようになりました。